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2007年1月18日 (木)

八尾市の事件について

大阪府八尾市で3歳の女の子が見知らぬ男性によって歩道橋から投げ落とされる事件がありました。

この事件で逮捕された男性は知的障害者グループホームで生活しながら授産施設に通所しているそうです。障害を持つ人が事件を起こした場合、実名で報道されないケースが多い中、今回はほとんどの報道機関が実名で報道しています。男性は過去にも子どもを狙った同様の犯行で複数回の逮捕歴があったそうです。どの報道機関も「障害」に触れませんし、施設の理事長の会見でも「(利用の経緯は)市からの相談により受け入れた」と話すのみで「障害」については触れません(触れた部分はカットされたのかもしれませんが)。

男性に障害があるのかどうか、現段階では確認ができていな状況です。

しかし、罪を犯したことは事実です。

問題はこの男性が仮に障害を持っていたとして、その障害の特性に配慮した取調べと裁判が保障されるのか、という点です。

今回の事件を聞いて、真っ先に思い出したのが2001年4月に起きた「浅草女子短大生(レッサーパンダ帽)殺人事件」です。この事件の犯人は北海道から上京してホームレス同然の生活をしていた自閉症の青年でした。この事件と裁判の経緯については、佐藤幹夫著『自閉症裁判』(洋泉社)に詳しく書かれています。障害を正しく理解した裁判が保障されなければ、本人の反省・更生は困難であるだけでなく、事件そのものの解明にはつながらないのです。『自閉症裁判』では、被害者に向き合うことのない加害者支援運動も、障害を理由に刑を軽くするような「責任能力論」も無意味であり、「彼の見ている世界」を共有する中から本当の贖罪の気持ちを持ってもらう裁判のあり方を問うています。

過去に同様の事件を何度も起こしている今回の八尾事件の男性。彼の心に向き合った裁判が行われなければ、また同様のことを繰り返すかもしれません。

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コメント

~彼の心に向き合った裁判が行われなければ、また同様のことを繰り返すかもしれません~

同感です。しかし現裁判制度でここまで追求するは難しいと思います。
私は、以前事務官として行刑の仕事に従事していましたが、障害者の犯罪は自覚が薄いことに加え、出所しても社会からの受け入れられないもどかしさがまた、彼らを刑務所に戻してしまいます。

罪を償うとき、もっと人の内面から改善できるようなシステムが行刑にも必要な気がします。

投稿: AKI | 2007年1月19日 (金) 09時49分

AKIさん
コメントありがとうございます。
ただでさえ社会から受け入れられていない部分が多い存在なのに、罪を犯せば更に排除されてしまいかねないですね。非行児童に対する更生支援のようなプログラムと罪の「自覚」を促すプログラムが欠けているのでしょうね。行政と研究者も「社会福祉」の領域にあらずと思っているのかもしれません。私もこの件についての研究は未踏ですが、犯罪被害を受けやすい立場でもある障害を持つ人の「司法」について少し考えていきたいと思います。

投稿: マンデリン | 2007年1月19日 (金) 22時17分

 ご無沙汰しております。お礼が遅くなりましたが、混沌とした私の書き込みへの真摯にお返事下さり、有難うございました。

 八尾市の事件、私も危機感を強めています。『障害』のある可能性があれば、これまでは良くも悪くも報道規制が敷かれていたと思うのですが。今回は犯罪暦が多かったから報道されたのでしょうか。

 『彼の心に向き合った裁判が行われなければ、また同様のことを繰り返すかもしれません』そうでしょうね。同時に、彼の言葉を信じるならば、動機は『福祉』から逃げたかったことにあることに私は頭を殴られた思いがしました。『障害福祉』の目的は『障害』当事者の自己実現ではなく家族や地域防衛に終始しており、揺り篭から今日まで蔑ろにされ続けて来た容疑者の思いが、こうした事件に結びついたのではないか、と自省しています。『彼の心に向き合った裁判』の前に、私たち『障害』のある人々の支援を生業とする人間が当事者の心に正面から向き合い当事者の権利を擁護する覚悟が無ければ、この国では『障害当事者福祉』は成り立たないのだろうと考えています。

 P.S.『自閉症裁判』は力作ですね。『透明な鎖―障害者虐待はなぜ起こったか』高谷清氏著も力作ですね。最後に質問させて下さい。先生は『障害を持つ人』と表現されていますが、その根拠を教えて下さい。所謂『障害者(児)』は、その意思に基づいて『障害』を持っているのでしょうか? そもそも『障害』という言葉に私は極めて不愉快になり、認めてはいないのですが、共通言語として用いらざるを得ないので、私は『障害のある人』という言葉を用いています。彼らの意思で『障害』を持っているとは考えられない為です。同時にICFに学ぶまでも無く『障害』は多数決を占める『健常』な人間社会の都合でしか無い、と考えています。自閉圏の人々には『健常』者とは明らかに異なる文化が見出せますし。いつも長々と夜分に申し訳ありません。

投稿: life_is_beautiful | 2007年2月 1日 (木) 05時39分

コメントありがとうございます。
『透明な鎖』、ほんとに力作ですよね。誰のための司法であり警察なのか、、、考えさせられますよね。
さて、ご質問の「障害をもつ人」ですが、特に意味があって使っているわけではありません。法律用語としての「障害者」には私も違和感があります。英語圏でも言い換えが行われ「障害をもつ人」そして、「障害のある人」になっています。「持つ」は意思に基づくとのご指摘はその通りかもしれません。私も「もつ」または「ある」を使いますが、どちらが適切かは結論に至っていないのです(「ある」という存在論にもまだ納得できていないし・・・)。どちらにしても、「障」「害」の文字も含めて、適切な日本語は何かを考えていく必要がありますよね。

投稿: マンデリン | 2007年2月 4日 (日) 22時47分

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