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2006年11月24日 (金)

「認知症は神様からの贈り物」か?

映画「そうかもしれない」(11月12日付日記に紹介)を鑑賞しました。

耕治人の私小説『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』の3作を、“老夫婦のラブストーリー”としての作品に仕上げています。

どのように老いを迎えるのか、家族とは何なのか、考えさせられる映画です。

この映画のパンフレットに堀田力さんの寄稿が掲載されています。堀田さんは「この映画を観て、『認知症は、神様の贈り物ではないか』と感じられた」と書き、続けて次のように書いています。

人生は素晴らしいが、それだけに人生を閉じるのはおそろしいし、辛いことである。まだまだしたいこともあるし、家族や親しい仲間と永遠に別れるなんて、そんな悲しいことはない。だから、人間は、医学や薬学や環境など、さまざまな面で努力を重ね、寿命を延ばしてきた。

神様は、人間のそんな努力を認めて、それでも迎えざるをえない終末期のおそれと悲しみをやわらげるため、認知症という贈り物を下さったのではないだろうか。だから、妻は、夫が先に逝ってヘルパーさんが泣きくずれるのに、その事実を理解できず、平然としていることができたのであろう。そして、おそらく、自分にも近づいているはずの死をおそれることもないのであろう。

認知症を「神様からの贈り物」であると考える方は堀田さん以外にもいることは承知しています。しかし、それは介護に疲弊する家族への慰めにはなるが、不安と闘っている本人には当てはまらないのではないかと思います。認知症当事者の心理はまだまだ解明されていないので勝手なことは言えないかもしれませんが、アルツハイマー病当事者であるクリスティーン・ボーデンが書いた『私は誰になっていくの?』でも、不安との葛藤が壮絶に描かれています。彼女がそれでも前向きに生きているのは強い信仰心が支えているからに他なりません。

映画では、夫が亡くなったことを伝えに来たケアワーカーと甥が泣き崩れるのを認知症の妻がただ優しく慰めるシーンがあります(あっ、ネタバラしてますね)。実際はどうであったのかは分かりませんが、「事実を理解できず」にいるとは言い切れないのではないでしょうか。ただ、その悲しみを私たちに伝わるように表現できないだけなのではないかと私は思います。

また、夫が亡くなる前の段階で、入院先の病院に妻がケアワーカーに付き添われてやってくるシーンがあります。認知症が進行している妻が自分を覚えているいるかどうか夫は不安を抱いて迎えます。ケアワーカーに「この人があなたのご主人ですよ」と言われ、妻が「そうかもしれない」と無表情で口にします。その場面について、医師で元厚生労働大臣の坂口力さんは「あの場面で、救われた気持ちになりました。これ以上の優しい言葉はない、ギリギリのストライクですよ。この病気の人としても、精いっぱいがんばってる一言です」(毎日新聞9月3日付「そうかもしれない」広告欄)と述べています。この場面は小説にも描かれている実話なので何も言えないのですが、少なくとも私は「救われた気持ち」にはなれませんでした。夫婦としての絆は言葉では言い表せない、いや、言い表す必要のない「二人だけの」共通の時間と意識だと思っています(そう信じたいだけなのですが)。だから、目の前の妻が認知症かどうかは関係なく、むしろ言葉は必要ないのだと・・・。

「そうかもしれない」と口にしたり、夫の死を理解できない様子でケアワーカーと甥を慰める場面でも、妻の心の中では「私の大切な夫」と理解していると思います(そう信じています)。なぜなら、認知症の方は、時間や空間の認知、人物の認知が困難となっても、情意の認知だけは最後まで無くならないからです。夫婦(家族)とは、それだけ情意相通ずる存在であり、ボーデンにとっての信仰と同じような存在ではないかと思います。

認知症を抱える人を介護する家族のストレスは計り知れないものがあります。それは昨今の認知症を抱える家族に対する殺人事件が示しています。そのストレスから解放する一つの考え方としての「認知症は神様からの贈り物」論は否定しません。なぜなら、介護に対して前向きになれる可能性があるからです。

しかし、それでもなお認知症本人に対して「認知症は神様からの贈り物」だとは言えないと思います。老いや病、死への不安や悲しみを癒す(和らげる)のは「認知症」ではなく、家族や家族・友人とともに歩んできた人生を幸せだったと受け容れる自分自身なのです。

それを支えることができる家族、ケアワーカーこそ必要なのではないか、と映画を観て感じました。

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コメント

こんにちは、マンデリンさん。

映画「そうかもしれない」は私は見ていませんが、認知症をテーマにした映画は最近増えてますね。私もいくつか観賞しました。

映画を見ていつも感じることは映画の中では、観賞用であるためスタンダードであるが故に、リアルな現実問題はあまり投影されないということです。たとえノンフィクション作品であっても所詮一例に過ぎないわけです。私も相談職を通して認知症の高齢者を抱える家族と数多く接してきました。そこには介護に係るお金のこと、介護に当たる者がいないこと、社会資源不足、虐待問題等、厳しい現実問題がそこにはあります。一生懸命、在宅介護しているご家族様に「神様の贈り物」なんて口が裂けても言えません。

~老いや病、死への不安や悲しみを癒す(和らげる)のは「認知症」ではなく、家族や家族・友人とともに歩んできた人生を幸せだったと受け容れる自分自身なのです。~

なるほど、同感です。
「より良く生きることは、より良い死につながる」そう言う事だと思います。

投稿: AKI | 2006年11月24日 (金) 14時13分

AKIさん
コメントありがとうございます。
相談職として、ご家族と身近に接してこられた方からのご意見、参考になります。厳しい現実と直面しているようなケースは、様々な要因が複雑に重なっているので映画や事例のように上手くいきませんよね。
>より良く生きることは、より良い死になつがる
いい言葉です。“今を大切に生きること”、を伝えられるといいですね。

投稿: マンデリン | 2006年11月25日 (土) 00時34分

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